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山根基世さんの『ことばで「私」を育てる』に「手で書くと言うこと」があります。 山根さんが小学校の時代の恩師に40年ぶりに会った時のお話です。 先生は、生徒のフルネームをしっかり覚えておられまました。 よく覚えていらっしゃいっますね、と山根さんが聞くと、 「あのころはワープロもコンピュータもなかったからね。出席簿から通知票から連絡帳から、一人の子どもの名前を1年の間、何十回何百回と書きよったから、いやでも頭に入るよね。今でも担任した子の名前は、全部フルネームで言えるよ」と先生はおっしゃいます。 山根さんは、「『手で書く』という単純な作業の中に、たしかに、人間の何かを深める作用があるのだと信じる気になった。」と書き、それで、この原稿を、鉛筆で手書きをしている、と書いていました。(その後も手書きをされているかどうかは分かりません) カルチャーセンターもついこの前まで、会員証も、出席簿も、その他、お知らせも、ポスターもすべて手書きでした。 それが、受付作業のシステム化で、コンピュータが導入されて、ワープロ印字になりました。 それでも出席簿は、入金手続きの時期によって、手書きになることもありますが少ないです。 機械に任せるようになって、人とのつながりは薄くなったような気がします。 手紙も書かなくなり、メールですし、手書きは、ないですね。 ポスターもどこも同じ感じの、パソコン仕立て。なんだか味気ないです。 機械任せになって、すべてが薄っぺらになってしまった思いがします。 「深める」ものを無くしたことが、カルチャーセンターの現状の大きな問題ではないのか、とさえ思います。 受講生の方の名前も、自然に頭に入ったものが、今は意識しないと頭に入りません。 講座案内も、原稿用紙に手書きをしていたので、しっかり頭に入っていました。 コンピュータ化すれば、余裕ができて、調査の表もすぐ出て来る、深味のある仕事が出来るようになる、そう言われましたが、そんなことは無かったですね。 なんだか、思い返してみると、薄く、薄くなっていったような気がします。 『ことばで「私」を育てる』の「手で書くと言うこと」を読んだ時、そんなことを思いました。 |
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